↓な話題出したからか、こんな夢を見ました。

何処かの古めかしい劇場に何故か楽日の4回目だけ出演するコトになり、
(雰囲気的には九州辺りっぽいですが、記憶している劇場とはまた違いました)
1人で居るには無駄に広い楽屋で支度を始めます。

従業員が楽屋に来たので音源を渡しながらカンタンな進行を伝えます。
楽屋内に舞台へ上がるソデがあり、そのソデ横の薄暗い通路奥にある狭い階段を登ると投光室のようでした。

従業員が音源を持って投光室に行ってから衣裳ケースを開けますと
使う予定の衣裳が一部しか入っておらず、どーもこーもイケません。

「弱ったなぁ…」

既に4回目は始まっていて、賑やかな音や順番に舞台を終えた踊り子達が
「お疲れ様でしたー」
「お先しましたー」
「お世話になりましたー」

などと賑やかに挨拶を交わしています。

そのすぐ傍らで弱りに弱ったワタシには誰も目にくれず
バタバタと片付けに走る子や、出番前の支度に追われる子。
手の空いた従業員は掃除なんかを始めています。

何故か大量にあるワタシの衣裳ケースを片っ端から漁り、とりあえず一式揃っている衣裳を見つけて
止む無く従業員に音源の変更をインターホンで伝えます。

「早く支度しなきゃ間に合わなくなっちゃう」

気持ちは焦るものの、変更する演目はあまりに可愛らしい衣裳で
段取りやら踊りやらを殆ど覚えてない。

テンション落ちまくりで、支度がまるではかどりません。

いよいよワタシの前の出番のコの舞台が始まってから、
本来予定していた演目の衣裳が見つかりました。

…が。帽子だけがありません。

帽子が無ければサマにならないと思うも、
可愛らしい衣裳の演目は出来ればしたくない。
しかし音源の変更まで頼んでしまって既に間もなく出番。

ゔーーー(◎_◎;)




…と。ココで目覚めまして。´д` ;


離れて何年も経つのに、このテの夢は未だよく見ます。

衣裳がない夢。
音源がない夢。
初演しなのに踊りなど一切決めてない夢。←出番間近。
前のコが始まってるのに、支度全然出来てない夢。
楽日出番前なのに片付け全くしてなくて、「コレぢゃ帰れない」と焦る夢。

見るのはこんな内容ばかりです。

そして昨日もそんな夢。

実際過去、こんな思いは殆どしたコトないのになぁ…
「そうなったらどーしよー」と云う思いのトラウマだけが残留してんでしょうかね。

ぃや、そんなコトを思ったりもしてませんでしたけどねぇ。


今夜は癒されるような夢を見たいなぁ。
(´・ω・`)









「三島由紀夫没後40年記念講演・公演」

11月25日(木)18時?開場。
開始は18時30分?。

入場料は3500円(前売3000円)だそうです。

場所は浅草演芸ホール4階。浅草東洋館。





ご興味を持たれましたら是非どうぞ。m(_ _)m


…って、もう間際ですけどね。(笑)

…と、

ワタシがコレまで辿った経緯をダラダラ(笑)と綴らせて戴きました。

負けずに読んで下さった方々。ありがとうございます。m(_ _)m

そしていよいよ、
「難産」の末産み出した久々の月丘の舞台。
間もなく公演です。

お題は
「三島由紀夫没後40年記念講演・公演」

…この相談を、どう切り出すのが最良か。

色々考えても上手い切り出しが見つからず、
「素直な気持ち」を告げるしかないと、会長にお話を聞いて戴きました。

松倉会長は、もう半世紀は確実に
浅草の、この「浅草東洋館」「浅草演劇ホール」を切り盛りしている方です。

明るく豪快で、良い意味での「チャキチャキの江戸っ子」。

慕う方も数多く、今もってお元気で演芸場を切り盛りしています。

正直「苦手」な三島を探求し、
色々と調べて行くウチに彼を自分なりに解釈して行けるようになったら…
(ソレまでは三島作品。3行読めば寝てしまう程苦手でした。苦笑)

ハマってしまいまして。(笑)

依頼を請けてからコレまで、全てとは正直云えませんが
ある程度の作品や研究書等を読み漁りました。
(一時精神的破綻の危険性が出て停止。急に詰め込み拒絶反応か。笑)

やはり…
「そのモノ」を知る上でイメージも強く湧くモノなので…とは云うモノの、
苦手で敬遠してた分、急な詰め込みは危険でしたが…(苦笑)

ワタシなりの「吸収」「消化」で決められた作品の舞台を完成させまして。

…さて、今回のテーマは「三島由紀夫」。だそうで。

市ヶ谷駐屯地を占拠し、声明文を提示し自衛官達に「檄」を飛ばし、
その直後教育総監室で彼率いる「盾の会」の一員と共に
割腹自決を遂げた、衝撃的な最期から…

今年は40年。なのだそうです。

…しかし、何でしょうね。

やっぱり「自分勝手」な性格は改まるコトなく。(苦笑)

何もしないで家に籠もっているコトが、
既に一ト月もしないウチに「つまらなく」なって来ました…

「何をするのが今の自分にとって最良か」

決まったコトしかするコトが無い日常。
精神的にヒマになり、そんなコトばかり考えておりました。

ソコに「一つの新たな希望」が上手いコト見出され、
新たに希望が湧き始動開始を決意し、動き始めた時に…

再び公演依頼の連絡が入りました。

一年前のこの公演依頼を請けた際、ワタシはもうその年の春先に
「もう踊りの仕事はお終いにしよう」と
ポツポツ続けていたフロアショーの仕事を辞めておりました。

春から普通?に昼間働く「カタギの仕事(笑)」を見つけ、
珍しく真面目に勤めてはみましたが
不運にも職場で「パワハラ」に遭い悩んでおりました。
(苦笑。でも続けるつもりでいた)

そんな時にこの依頼を請け、
パワハラで悩む気晴らしに…と請けたのも確かでしたが、
夏を過ぎた頃にはソレどころかその職場自体に不信感が募り出し…

そんな時に藤乃から、所謂「ホステスさん」のバイトの話を聞きました。

公演までに3ヶ月の猶予がありまして、
その間幾度か企画者の方に会い打ち合わせ。

ストリップと云うモノをあまりよく知らない方なので、
ワタシの「仕事」を説明するのが大変でした。

出された「墨東綺譚」の小説になぞらえたシナリオを見せられ、
コレを女講談師の方の「読み」で入れた舞台を構成して欲しい。と。

衣裳から選曲、構成から振付、舞台セット類…
全てのプランを自分で立て提示し、(そりゃ劇場時代より当然の仕事)
そしていよいよ本番でした。

撮影の仕事から翌年。
ほぼ1年が経過した夏の始め。

またしても芸能社さんから連絡が。

「松倉会長が月ちゃんにまた来て貰いたいって。
 月ちゃん指名で仕事来てるけど行けるかい?」


訊けば撮影の時と同じような内容でまたやって欲しいと云うので、
なら「分かってる」仕事だから良いや。と請けました。(また軽率。苦笑)

「直接詳しいコトは、会長から月ちゃん直接訊いてくれる?」

芸能社さんに連絡先を聞き松倉会長に電話をし、
仕事の前に打ち合わせを。と云うコトでしたので日取りを決め、
一年振りに東洋館へ出掛けました。

撮影開始。

段取り通り曲が鳴り、照明が照らされると

客席にはこの放映に出られる脚本家の先生。お付きの方々。スタッフ。
そして松倉会長もご覧になっておりました。

豪快な掛け声と、慣れた大きな拍手をまず先に
上げて下さったのは会長でした。

支度の際には
「どーせちゃっちゃと終わるんだし、舞台袖で構わない」
と思っていたワタシでありましたが、
懐かしい楽屋を空けて通して下さった上、
化粧前には生花と寿司折が置いてありました。

仕事当日。

旧フランス座の裏手、少し行った角に
今は「つくばエクスプレス」が開通し新たな「浅草駅」が出来てます。

コレが当時もあったら、駅からすぐ劇場到着で楽だったろうなぁ…と
いつも決められた「入り」の時間ギリギリに飛び込んでたワタシは
そんな風に思いながら、すぐ見える東洋館を眺めていました。

入口横にある、ガラス張りの宣伝窓。
以前はココに踊り子の写真が貼られ、
色々なクサイ(笑)宣伝文句なんかが一緒に貼られてました。

今は芸人さん達の写真がソコには多く貼られていました。

そしてワタシも劇場を去り…
暢気にフロアショーの踊り子として過ごしてましたら、

ある日フロアショーの仕事を回してくれる「芸能社」さんから、
いつものように仕事依頼の連絡が入りました。

「月ちゃんにしか出来ない。と思う仕事なんだけどさ…」

「…でもね。コレがTVの仕事だって云うの。
 月ちゃん、TVダメって云ってたでしょ。」


勿論お断り。とは云いつつも話を訊いてみると、

フロアショーではなく浅草フランス座があったあの舞台で、
「昔のストリップみたいなショー」を5分10分やって欲しいと云う内容でした。

過去ブログでもお話ししましたが、
ワタシは踊り子時代は「小屋専属」ではなくコースだけを回してくれる
「事務所に所属」。

コレは小屋専属になれば、ワタシのようなモノは「長続きしない」
(極度に密な集団行動苦手)
ソレを自身で判っていた為に、小屋専属の話をお断りました。

ストリップの世界に憧れ、志願して入ったのは良いが「世間知らず」だった為、
当時街中に溢れていた「スカウト」にわざと捕まり
何とかこの世界に入りました。

浅草にある老舗演芸場です。

いわゆる「六区」と呼ばれる浅草の一区画。
かつてココは東京随一の歓楽街と呼ばれたトコロ。

浅草寺から境内周辺、仲見世から六区までのエリアは
沢山の商店が並び、映画、芝居、落語に演芸…
レビューにストリップに大道芸に見世物…

人に溢れ、華やかなトコロでした。

…確かに今も、その面影は沢山ありますが
六区の興行は、段々と減って行き…

今はどちらかと云うと観光地。(場外も出来てそんな雰囲気にも)
賑わいも勿論ありますが、「芸」に関する物事は継続して残る数館のみ。

そんな中でも、長い年月同じ場所で「芸」を上演し続けているトコロが
この「浅草演劇ホール」「浅草東洋館」です。

依頼を受けたのが8月。
「まだ全然先だし…」なーんていつもの如し暢気に過ごしてたら…

気が付けばもう一週間前になりました。
(どれだけ暢気なんだか。笑)

ま、そうは云っても以前のように「暢気なまま」で良いワケにも行かず、
とりあえずは完成させて後は本番に挑むのみ。
(この辺は珍しく自分を褒めたい気分。)

色々ありましたが…
ま、もっと「迅速」に行動すればイイと自己反省もあり。

一先ずは「OK」が出てクリアです。

ぃや?今回は本当難産です。
色々な要望や規制ありの中での創作は、ホント「自由ではない」ですから。

しかしながら、
ワタシの「仕事」を認めての依頼ならば、
ワタシを「信じて欲しい」ワケです。

…と、
云ってしまえばまた新たな「プレッシャー」も掛かるワケですが。

とりあえずは良しとご満足戴けましたようで。

良かった良かった。
コレで後は暫く遊んでられる♪←そーゆーコトかよ

…藤乃がご意見を上げて下さってます。


詳しくはウェブで。
( ´,_ゝ`)プッ.なんてネ。
←by 東 幹久 (爆死)




ありがとう藤乃。

…以前。こんなコトがありました。

泊まり込みの劇場で、「中日替え」(興行日数の半分で演目を替える)を
しなければならない規則があり、
終演後に舞台を借りて振付を創っていました。

その週、「踊りに自信のある」踊り子が
(しかし彼女は振付は振付師に頼んで踊っています。)
自分の香盤のポジションをワタシに「とられた」と勘違いし、
ワタシの舞台を見るコトはしないのに終演後のワタシの練習風景を
何故かこれ見よがしに投光室から覗き見ていました。

…と云う昔話。ご存知でしょうか。

罠から救って貰ったお礼に女人に化けてその村人の嫁となり、
機織りで見事な反物を織り貧しい村人に富を与える。

と…

突然こんな話を始めて
「へ!?」と思うかもしれませぬが
ワタシが今回お話ししたいのは、この昔話の終盤のトコロなのです。

ぃや、何年振りでしょうか…
月丘の舞台の為の音源作り。

昨年もありましたが、あの時は一演目な上短めに作ったのと
(初めてだからこの位…と。ホント短かったです)
まぁ、ワタシ的には「演じ易い」お題だったので楽だったのですが…

今回はかなり厄介でした。

カテゴリは「劇場仕事」に入れてますが、
「仕事するっ。」なんて話ぢゃナイですよ。(有り得ない。笑)

とある地方の劇場が近々閉館(?)との情報が入りました。

ココはワタシも良くして戴き、
定期的に乗せて戴いてた劇場でした。

芸事に熱い地方で沢山の劇場がありましたが、一つ減り…また一つ減り。
遂にはココ一館のみとなってしまいました。
(その頃ワタシは既に劇場から離れてました)

初めて乗った時のこの劇場は、「難しいな」と思いましたが
慣れて来れば楽しく、大好きな劇場になりました。

…まだ、この情報の真偽は判りませんが
こんな噂がもうすっかり離れてしまったワタシにも流れて来るとは、
何だか消沈してしまいますねぇ…

残念だなぁ。

もしもこの噂が本当ならば
観に行ける方は是非足を運んで、劇場を目に焼き付けて来て下さいまし。

今はまだ。コレ以上は書きませんが最後に。

ま゛たひとつぅぅ~♪
(世良公則風に。つかコレがオチかよぉ)
復活します…

と、云うモノの連日の慌ただしさに体力限界。
今日なんてフラッフラです。

疲れて休みたいのに、しなきゃならないコトが山積み。
また、したいコトも山積み。

自分独りならまだしも、家事や子の世話まで付いて来る始末。

泣きそうです。(疲)
場を替え、趣向を変えて。

縁あって「月丘雪乃」活動再開致します。

…細かいコトはまた後日。

まずは本日の「東京新聞」
に掲載された記事をご覧下さいまし。

皆様、どうぞよろしく。

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追記:携帯用のURLを張りましたが、上手く表示されないようなので
こちらに転載させて頂きます。(9月9日管理人)


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芸で迫る足跡、生きざま 永井荷風 没後50年で


没後五十年を迎えた作家・永井荷風の生きざまや作品を、
講談と幇間(ほうかん)(たいこ持ち)芸、舞踊でたどる公演が来月十六日、
台東区浅草一の東洋館である。

一昨年から始まった「下町芸能大学」の第三回。

場末で働く女性などにも愛情を注ぎ、好事家などとやゆされた荷風だが、
この公演では、戦争に対する荷風の鋭い批判眼なども浮き彫りにする。
 (丹治早智子)

出演は女性講談師の神田蘭さん、
幇間芸を伝える数少ない芸人の悠玄亭玉八さん、
舞踊家の月丘雪乃さん。

神田さんは作家・野上周の新作「荷風先生ここだけの話」に挑戦。
長編講談で荷風文学の神髄と素顔に迫る。

幇間は、客と芸者の間を取り持って座を盛り上げる。
玉八さんは「お声がかり四畳半襖(ふすま)の下張」と題し、
劇場ならではの“お座敷芸”を披露する。

荷風は浅草のストリップ劇場に出入りし、楽屋で踊り子たちと交流を重ねた。
今回はストリップ出身で、現在は昭和のレトロ感あふれる踊りを追求し
独自の活動を続ける月丘さんが、
荷風の作品「〓東綺譚(ぼくとうきだん)」の世界を艶(つや)やかな舞で表現する。

十月十六日午後六時半開演。前売り二千五百円。
問い合わせは、東洋興業=(電)03(3841)9606=へ。

※〓は、さんずいに墨


東京新聞web
2009年9月6日

季節柄、「鬱」になりまして…(苦笑)


つーかですね、何だか「書く」タイミングを逃すんですね。アタマ、回らないっつーか…

実は下書き中の書き込みがあるのですが、なかなか捗らず
そうこうしているウチに
昨夜は藤乃と久々の「密会」でした。

その書き込みもしたいので、早く片付けなければ…。




先月意外にも忙しくて、
急にフッとゆっくり出来るようになって

本気で「ゆっくり」してしまってました。

「劇場辞めて、気ぃ抜けちゃったんぢゃないの?」

先日バイト先のバンドさんに云われましたが
(そう云う彼も、何だか憂鬱気味と云ってる)

そんなワケはありませんね。残念ながら。(笑)

大体今年初の劇場仕事が5ヶ月ぶりで、その上終わり。

どうもこうもありません。
逆にその時の仕事の方が「鬱」でしたよ。

ほぼ、忘れかけてた状態でしたからね。(思い出しかけてるウチに終わっちまう始末。爆)

まぢ、休んだまま終わりにしても良かった位です。


…しかし、こうして終えてみて
無情にも「何とも思わない」のでした。

先月、最終公演の際にマヌケにも小道具を忘れて来てしまい
(ま、取りに行く必要も無いんだが)
そしてお花を贈ってくれた
Rちゃんがちょうど乗っていたのもあって
渋道に再び行ったのですがね
(こんなに早く、また劇場に行くコトになるとは…。苦笑)

やはり、終わってしまうと「他人事(ひとごと)」なんですよ。
自分の仕事中に見る風景と違うのですよ。

まるで「素人」が、初めて楽屋に入ったのと
ホント、気分は同じなんです。

以前から、オフで楽屋に行くと、どうも居心地が悪くて
会いに行ったヒトの待ち時間から次の出番前までが限界。

んで、Rちゃんに会いに行った時も同じ。
ただ、彼女と話が盛り上がり
楽しく、居心地は悪く無かったのですが…

「姐さん、ポラ一緒に出てくれませんか?」

以前一緒に仕事した際、
彼女のポラにお邪魔したコトがありました。
その時は乱入ながらも、とても楽しかったでしたっけ。
(彼女を応援してるお客さん達がホント、良い方ばかりでね)

つい、話の流れで(ノリ、か)
「出るかっ!!」とは云ったモノの…

出ませんでした。(爆)

やはりね。「終わった」んですから。
そう云うコトはしちゃイケナイでしょうよ。

そうするなら、客席からポラ金払って参加しないとね。


舞台、降りたんですからね。


…今度は「客」で、か。


┐(´ー`)┌←何も云えない。



・・・とある某人気踊り子姐様が復帰するそうです。

現役中、踊りに定評があり、とても人気のあった方です。
(オレなんかより全然先輩)



その方の引退興行はものすごい盛況だったそうで
連日、この方を慕うファンは勿論のコト
後輩踊り子達が大勢楽屋に押し掛け
花束や差し入れが化粧前に山積みだったそうです。

皆、涙涙の引退興行だったそうです。

しかしその後まもなく、一時復帰。

暫く名前を見なくなったな、と思いきや
再び復帰。なのだそうです。


そこで、こんな風な話。

「沢山のヒトに見送られて華々しく引退しても、
 結局は戻って来る程、他に代えられないのでしょうか」

もう辞めようかと迷ってる時に
先に辞めた踊り子が別の場所で
上手く生活してる話を聞くからこそ、
「次」への期待が持てると考える踊り子がいます。

そう云う踊り子には「ショック」なのでしょう。

ましてや「尊敬」「羨望」と云うカタチで想ってた方です。

引退後の華々しい未来を熱く語り、皆を益々感動させた方。


・・・。


「心底好きなんでしょうね。あの世界(ストリップ)が」

オレにはそう云う位しか出来ません。
「出戻り」経験者、ですからね。
(オレはその時引退興行は打って無いが)


・・・。


オレが以前引退した際、
実は戻って来るつもりでいたので
所属事務所には「休業する」と伝えてました。

勿論、公表などもしませんでした。

しかし、
自分の中で最終日に絶大なる開放感を味わってしまった為
気持ちが「萎え」てしまい、HP上で引退表明。
しかし、相変わらず所属事務所には「休業」のまま。

・・・で、
定期的に来る事務所からの電話に(いつから戻れるの?と)
ついウッカリ承諾して戻ってしまいました。(だはは)

オレはその時思いました。

盛大にではなくとも、引退興行は打つべきだ。と。

例え興行を打たないとしても、
事務所に引退宣言は勿論のコト
舞台上でせめて知ってるお客様にだけでも公表し
ちゃんと挨拶すべきだ。と。

・・・やむを得ない事情が無い限りね。

ぢゃないと、「終わらない」。「終われない」。


だからこの度、
オレの場合弱小で誠に恥ずかしながらも
引退興行を打って戴き、

しかと「成仏」させて戴いたワケですが…。


・・・。

何か、考えちゃうよね。(微量にだが。笑)


そんなモンなのかなぁ・・・って。


沢山の人の前で「堂々宣言」しちゃったら
「後に退けない」とは思わないのかなぁ・・・。


そう云や、前にもあったな。

「立派なお母さんになりまーす!!」と

楽屋ではまだまだ続ける踊り子の前で
「こんな仕事」呼ばわりし、
私情を舞台上で公表して辞めた後

立派に出産したはイイが
子供をほったらかして復帰したヤツ。

で、勝手知ってるからちゃっかり人気奪還。
(もう「世迷い言」だからね。云わせて貰うぜよ)

ある意味、「立派なお母さん」ではあるな。(爆)


そんなモンなのかなぁ・・・。


ま、「根強いファン」がいれば
いくら盛大に引退しても復帰は喜ばれるでしょうし、
新たな客を掴むコトも出来ましょう。

一度離れて帰って来ると勝手知ってる上に
新たに考え直せる部分も出来るんで
以前より上手く対応出来たりしますからね。

良い風に「こなれる」って云うか・・・


・・・でもなぁ。


やはり人それぞれの
「価値観」の違い、なんでしょうかね。


そんなモンなんだろうな。 うん。

(コレで解決か?! おい!!)
そんなツッコミしなくてもイイからっっ(爆)


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そう云えば最終公演で
1つ忘れたコトがありました。




藤乃とのツーショットポラ、そして写メ。
撮るの忘れた。



会いに来てくれた皆とも写メを撮る予定にしていたが
皆喋りに夢中で全て忘れた。

ううー(T^T)




…つか、いっつもだ。


しょーがねーから、
以前藤乃とどっかで撮ったヤツ、貼っ付けてやれ。
(しかし何だコリャ←オレ)



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いつまで保つかなぁ、と思ってたら

さすがにカサブランカは強いです。

今月、23日まで保ちました。

花はどれも大好きですが、
カサブランカは特に好きな花。
(次いで赤白混じったダリア、薔薇、牡丹と続く)

約3週間もの間、我が棲み家は花の香りで溢れ
非常にハイになれる生活が送れました。


で、最後の花を記念に。


こんなに花束で溢れるコトなぞ
きっと次は棺に入る時まで無いだろうなぁ…。


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せっかくだから、
自分も一緒に写ってみた。


花の香りに酔ってます。
(目つきが妙である。笑)